【本山茂辰の野望】その9 第二次毛利攻略戦の始動

ノリで反・島津連合を結成してしまった本山家は、島津・毛利・武田の3家と対立することとなりました。

motoyama2_9_1※本山家は上洛を果たし国力が全国1位となったものの、将の能力や兵力では島津家に劣り、武器も乏しい。しかし、前当主、本山茂宗の戦闘能力は限界値まで達し、かなり強くなった。

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【本山茂辰の野望】その8 決戦二条御所

本山家の敵となった足利将軍家(ムロマチバクフ)。その攻略を始める前に、将軍の居る二条御所の南西、石山御坊に陣取った将軍家との同盟勢力である本願寺家を排除することを決めました。

石山御坊を守るのは11000の兵と、あの下間頼廉です。簡単には落城しないのですが、本山家の兵力を動員して頼廉部隊を蹂躙しました。

motoyama2_8_1※坊主を取り囲むの図。いかに下間頼廉といえども、これだけの兵を相手にすることはできない。

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【本山茂辰の野望】その7 畿内の攻略

1560年5月、本山家は毛利家攻略に失敗。一つの城を攻め落とすこともできずに兵の撤退を決めました。

motoyama2_7_1※神辺城は本山家を追放された長宗我部親吉が守っていた。城門を破壊するところまで追い詰めながらも、毛利の援軍に阻まれて落としきれなかった。いまごろ、親吉は毛利家中で名将と讃えられていることだろう。

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【本山茂辰の野望】その6

村上武吉は海賊です。昨年は彼の娘・景(20歳)が主役の『村上海賊の娘』が本屋大賞になり話題になりました。でも、そんなことは今回の話には関係ありません。【本山茂辰の野望】の村上武吉は、軍団長として本山茂辰の無茶な要望に答える、パワフルなアラサーです。

motoyama2_6_1 ※武吉は茂辰に侵攻を指示されると、『必ずや目標を陥落させて見せます』と答えた。さすが村上海賊の娘の父。ところで、敵城の侵攻を指示すると別の敵城への陽動部隊もちゃんと出してくれて賢い。

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【本山茂辰の野望】その5 反逆の荒木村重

1559年5月、播磨・丹波の攻略に成功した本山茂辰は、その一帯を統治する軍団を新たに編成。宿将・西園寺実充を軍団長に据え、三好討伐の任を与えました。

motoyama2_5_1※西園寺実充は西園寺15将の裏ボス的存在である。

その西園寺軍団に、早速試練の時が訪れます。軍団長に任じられたまさにその月、軍団最東端の八上城に向けて三好家が進攻してきました。

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