【本山茂辰の野望】その12 潮流、そのひとしずく コメントをどうぞ 左大臣を名乗った茂辰は、東西に憂を抱えながらも、国力は日本一となっていました。 ※人口は200万と、2位の島津家に50万の差をつけた。 続きを読む →
【本山茂辰の野望】その10 茂辰、深津にて夜襲を受ける 深津で毛利元就の夜襲をうけ、おねむだった茂辰は大慌て。 ※「敵の夜襲を受けるとは……皆のもの、落ち着け!」 うちの当主がこんなにちょろいわけが…あった。 続きを読む →
【本山茂辰の野望】その9 第二次毛利攻略戦の始動 ノリで反・島津連合を結成してしまった本山家は、島津・毛利・武田の3家と対立することとなりました。 ※本山家は上洛を果たし国力が全国1位となったものの、将の能力や兵力では島津家に劣り、武器も乏しい。しかし、前当主、本山茂宗の戦闘能力は限界値まで達し、かなり強くなった。 続きを読む →
【本山茂辰の野望】その8 決戦二条御所 本山家の敵となった足利将軍家(ムロマチバクフ)。その攻略を始める前に、将軍の居る二条御所の南西、石山御坊に陣取った将軍家との同盟勢力である本願寺家を排除することを決めました。 石山御坊を守るのは11000の兵と、あの下間頼廉です。簡単には落城しないのですが、本山家の兵力を動員して頼廉部隊を蹂躙しました。 ※坊主を取り囲むの図。いかに下間頼廉といえども、これだけの兵を相手にすることはできない。 続きを読む →