カテゴリー別アーカイブ: 九州征伐 大崎家 part2

【大崎義隆の野望】その5 攻略の糸口

1594年7月。連合の結成直後に、大崎義隆は上杉家当主・上杉景勝から栃尾城の救援を要請されます。栃尾城は徳川家に攻められ、危うい状況となっていました。

大崎義隆はこれを受けて、岩代・黒川城から遠藤盛胤、兵2500の救援を出します。

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※大崎家は米がなく極貧だが、一応盟主なので要請は受けなければなるまい。そういう見栄というか誇りみたいなものは一人前なのである。

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【大崎義隆の野望】その4

1594年6月、大崎家は田村家に従属を要求。

田村清顕は孤立しながらも三春城をよく守り独立を保ってきましたが、ついに大崎家に屈しました。

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※三春城は、耐久が5000もある。攻略が面倒なので今まで放置してきた。

 

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【大崎義隆の野望】その3 侵攻の対価

大崎軍は佐竹軍と御前山で対峙しましたが、戦場は平地。障害物もなく、戦場については特筆すべきことがらはありません。

あえて言えば、敵の総大将・佐竹義重は強敵です。

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※統率96、武勇103。かなりのハイスペックである。

 

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【大崎義隆の野望】その1 天下への道

☆未読の方はまずプロローグを読んだほうがいいかもしれません。

1592年9月。大崎義隆の野望がふたたび始動しました。

しかし、攻略目標としている蘆名家とは、停戦期間を4ヶ月残しています。そこで、ひとまず磐城の相馬領へと侵攻することにしました。3ヶ月後の12月、相馬家は滅亡。大崎家はその勢いのまま更に南にある岩城領・飯野平城へと向かいます。

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※佐竹を攻略するために、このルートを確保することは必要。決して、もののついでで攻略したわけではないのだ。それにしても岩城親隆の顔は面白いですね。

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