1574年4月、庄高資を下津井城代に任命しました。
※これは誰なのかというと、元・三村勢力の武将いつ加入したのか忘れました。
日差し照りつける中、戦いが佳境に入ります。備中松山城での合戦は月をまたぎ、8月にさしかかっていました。
敵味方の部隊が次々と脱落する中、残された牧良長隊は東門で城門を守る庄高資と遭遇。攻撃をしかけます。
「備中松山城の戦い」の結果は、両軍1部隊、牧良長と庄高資に託されました。
---春日山での決戦、同月。
出陣中だった長尾憲景が急死します。
憲景がおさめていた柏崎城は急遽、長尾景広が引き継ぐことになりました。
訃報は続きます。同じく出陣中だった小島弥太郎も死亡。栃尾城主でしたが、こちらには跡取りがなかったため、そのまま断絶しました。