タグ別アーカイブ: 支城勢力

【大崎義隆の野望】その11 連合解散

富山城を攻める南条隆信、四釜隆秀隊は、富山城下で徳川の援軍と衝突。これを会戦で破りました。その後、豊臣の援軍も死闘のすえに撃破します。

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※徳川家は越前・北庄城からも6500の援軍を出してきた。大崎軍は満身創痍である。

隆信、隆秀の部隊はほぼ壊滅状態となりながらも、国人衆の力を借りて富山城を包囲します。

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【大崎義隆の野望】その10 大崎の朝駆け

1596年10月。春日山落城のひと月前、大崎家は陸前、岩代など大崎領内で総勢およそ3万の部隊を編成。春日山城の援軍を目的として、越後へと向かっていました。

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この援軍は春日山城の落城を受けて、春日山城の奪還と徳川領の攻略をめざすことになりました。

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【大崎義隆の野望】その9 栄光の先に

1596年6月、毛利家は豊臣家によって滅亡します。これで、西国で豊臣家に対抗できる勢力は九州を統一した島津家のみとなりました。

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※この画像はその2ヶ月後、8月だが、豊臣家の兵力46万。当家の兵力は9万弱で、5倍ほどの開きがある。島津は兵力13万。四国の長宗我部家は虫の息。宇喜多家は豊臣家に従属している。

 

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【大崎義隆の野望】その7 春日山に鬼が舞う

1595年11月、大崎家・越後攻略軍が越後に到着。侵攻をはじめます。しかし、越後には徳川軍も集結しつつありました。

大崎家臣・四釜隆秀は虫川で大会戦を開いて勝利。ひとまず、徳川軍を一掃します。

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※数で押し切った。

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