三浦家は3度、滅亡の憂き目を見ました。これは4回目の挑戦です。
戦国時代初期。中国地方では尼子氏が力をつけ、諸勢力をまとめあげようという動きをみせていた。尼子氏の狙いは山々に囲まれた美作(みまさか)の地にも向けられる。その美作の地には、家名存続をかけて尼子氏と小競り合いを続ける勢力があった。それが三浦貞久ひきいる三浦家である。
某は、しがない語り部です。本日は某がこの戦乱の現状を語らせていただきます。
大崎家と豊臣家の争いは、10年にも渡るものということです。今でこそ天下を2分していますが、以前はそうとう力の差があったようです。大崎家もごく小さな領地を持っていただけだったので、豊臣秀吉公も大崎家などとるに足らぬと油断していたのでしょう。