1597年7月、北条氏政は大崎義隆の要請を受けて、新府城、蒲原城へと侵攻していました。氏政はいっとき新府城主・本多忠勝を追いつめながらも援軍に蹴散らされ、結局その攻略は成功しませんでした。
※甲斐への侵攻はやはり失敗。仕事は早いが詰めが甘い。しかし家康は確かにつよい。
戦国時代初頭。関東では色々とごたごたがあって、北条早雲を始祖とする後北条氏が台頭した。その勢いに飲まれ、関東管領として名を馳せてきた名門・上杉家も凋落の危機に陥る。その中で、打倒北条、江戸城奪還の使命に燃える一人の上杉が居た。それが扇谷上杉家当主・上杉朝興である―――。