タグ別アーカイブ: 支城勢力

【本山茂辰の野望】その7 畿内の攻略

1560年5月、本山家は毛利家攻略に失敗。一つの城を攻め落とすこともできずに兵の撤退を決めました。

motoyama2_7_1※神辺城は本山家を追放された長宗我部親吉が守っていた。城門を破壊するところまで追い詰めながらも、毛利の援軍に阻まれて落としきれなかった。いまごろ、親吉は毛利家中で名将と讃えられていることだろう。

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【本山茂辰の野望】その6

村上武吉は海賊です。昨年は彼の娘・景(20歳)が主役の『村上海賊の娘』が本屋大賞になり話題になりました。でも、そんなことは今回の話には関係ありません。【本山茂辰の野望】の村上武吉は、軍団長として本山茂辰の無茶な要望に答える、パワフルなアラサーです。

motoyama2_6_1 ※武吉は茂辰に侵攻を指示されると、『必ずや目標を陥落させて見せます』と答えた。さすが村上海賊の娘の父。ところで、敵城の侵攻を指示すると別の敵城への陽動部隊もちゃんと出してくれて賢い。

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【本山茂辰の野望】その5 反逆の荒木村重

1559年5月、播磨・丹波の攻略に成功した本山茂辰は、その一帯を統治する軍団を新たに編成。宿将・西園寺実充を軍団長に据え、三好討伐の任を与えました。

motoyama2_5_1※西園寺実充は西園寺15将の裏ボス的存在である。

その西園寺軍団に、早速試練の時が訪れます。軍団長に任じられたまさにその月、軍団最東端の八上城に向けて三好家が進攻してきました。

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【本山茂辰の野望】その4 播磨動乱

洲本城を攻略した茂辰は、伊予・西土佐に対毛利・島津を目的とした新たな軍団を新設。いざ争いとなれば激しい戦闘が予想されるため、軍団長には猛将・村上武吉が就任しました。

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※村上武吉には軍団長としての経験を積んでもらいたい。

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【本山茂辰の野望】その3 慢心の代償

洲本城に残った大西頼武は、十河、荒木隊が不戦を決め込むのを見届け、僅かな守備兵を率いて城下に出陣してきました。本山・洲本城攻略軍は難なくこれを蹴散らすと、洲本城を包囲、強行します。

強行を開始するまさにその時、三好方の援軍、下間頼廉が洲本城に到着し、海から攻略軍への攻撃を開始しました。

motoyama2_2_10※海坊主かと思ったら頼廉だった。なんとその頼廉、兵力6000くらいと思っていたが実際は8200。 誤差ってレベルじゃありません。これには兵も苦笑い。

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