1567年(永禄10年)――織田信長は美濃を攻略。天下布武の朱印を用い、天下統一を視野に入れはじめた。いっぽう中国地方では、毛利家が尼子家を滅亡に追い込み、強大な勢力となっていた。
同じころ。中国地方の山間、美作(みまさか)・高田城に、三つ引の旗が掲げられた。三浦貞久とその叔父・三浦貞盛は旧領回復に成功。三浦家が再興をはたしたのである。
1567年(永禄10年)――織田信長は美濃を攻略。天下布武の朱印を用い、天下統一を視野に入れはじめた。いっぽう中国地方では、毛利家が尼子家を滅亡に追い込み、強大な勢力となっていた。
同じころ。中国地方の山間、美作(みまさか)・高田城に、三つ引の旗が掲げられた。三浦貞久とその叔父・三浦貞盛は旧領回復に成功。三浦家が再興をはたしたのである。
1544年4月、尼子家が大内家に従属したことで、三浦領では仮初めの平和が訪れました。
このころ三浦家の兵数はおよそ20000。中国地方における大国としての道を歩みはじめたのです。