タグ別アーカイブ: 支城勢力

【三浦貞広の野望】プロローグ

1567年(永禄10年)――織田信長は美濃を攻略。天下布武の朱印を用い、天下統一を視野に入れはじめた。いっぽう中国地方では、毛利家が尼子家を滅亡に追い込み、強大な勢力となっていた。

同じころ。中国地方の山間、美作(みまさか)・高田城に、三つ引の旗が掲げられた。三浦貞久とその叔父・三浦貞盛は旧領回復に成功。三浦家が再興をはたしたのである。

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【三浦家の野望】その21 山陰の覇者

1544年12月、毛利元就は三浦家の出雲攻略の隙をついて兵6500を出陣。三浦領・翁山城へ侵攻します。城主の中村則治は、はからずも窮地となったのでした。

miura_1_22_1※なんでまた儂だけがこんな危機に……。則治もストレスとかが溜まって身体に悪そうだ。

 

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【三浦家の野望】その20 決戦に臨む

1544年4月、尼子家が大内家に従属したことで、三浦領では仮初めの平和が訪れました。

このころ三浦家の兵数はおよそ20000。中国地方における大国としての道を歩みはじめたのです。

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※俺たちの戦いはこれからだ!

 

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【三浦家の野望】その19 尼子落日の時

1542年11月、三村家が滅亡。旧三村家臣をとらえた三浦貞盛は津山城へと向かいます。

旧三村家臣たちは、あいついで三浦家に投降。その中には何度か戦でまみえた竹内久盛の姿もありました。

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※竹内久盛は戦の見物をしている印象しかない。しかし、彼は山伏に鍛錬をうけて開眼、竹内流を創始した人物である。ただのにやけた人ではないのです……。

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