【本山親茂の野望】その5 願わくば、我に七易八楽を与えたまえ

1568年1月、本山家は本願寺最後の砦、尾山御坊を攻略。本願寺家は滅亡しました。その攻略にあたったのは西園寺実充。彼が捕縛した本願寺の将の中には、かつて本山茂辰が本山家から追放した長宗我部元親の姿がありました。

motoyama3_5_1※しかし、解放しました。元親「情けをかけていただけるとは 礼を言わせてもらう」。次はどこへ行くのか、ちょっと楽しみでもある。

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【本山親茂の野望】その4 周防攻防戦

本山家は、島津の攻略軍を編成。周防攻略軍を本山親茂、長門攻略軍を本山茂宗が指揮し、侵攻を開始しました。しかし、その最前線では島津家の誇る2人の猛将、指月城主・島津義弘、山口館主・立花道雪が守りを固めていました。

motoyama3_4_0※島津義弘はステータスが高く、全国屈指の実力を持っているが、髪型はコロ助なのである。

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【本山親茂の野望】その3 傍流、大河に至る

1566年5月、本山家の将、吉川元春は毛利家最後の城である山吹城の攻略にあたっていました。元春は島津の援軍に苦しめられますが、親茂は朝廷に島津との和解の仲介を請願。和解によって島津の援軍を失った山吹城は落城し、毛利家は滅亡しました。

motoyama3_3_1※吉川元春が毛利元就を下した。元就は息子に「他愛もない……」と言われてかわいそう。

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【本山親茂の野望】その1 因縁の果て

1565年5月。本山家は、茂辰が没した影響をものともせず、各地で島津、武田、そして浦上と3方を相手にした戦いを繰り広げていました。

motoyama3_1_1※中国地方の攻略軍である。先々代・本山茂宗が浦上領・備中高松城を攻略中。

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