1538年6月、尼子家の侵攻を防ぎきれず、失意のうちに高田城をあとにした三浦貞久は、弟・三浦貞盛にはげまされます。
※「尼子経久から国を奪い、領地を広げるのです! 本城を狙いましょうぞ」このように三浦貞盛はこんな状況でも常に前向き思考を欠かさない、真の意識高い系武将なのだった。
1537年2月、三浦・浦上の連合軍は津山城に到達します。周囲の勢力はこの侵攻に合わせて警戒の兵を出しましたが、津山城までは向かってこないようです。
連合軍は津山城を守る尼子誠久に対して、会戦をしかけます。
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1535年9月、三浦貞久は、貞盛から中村則治に怪しい動きが目立つという報告を受けていました。