【本山親茂の野望】その7 九州上陸 1571年6月、本山親茂は九州への攻略の強化をはかり、畿内・石山御坊を直轄地としました。御坊で持て余していた坊主、下間頼廉が遠征し、同年9月に小倉城を陥落。本山家は島津討伐兵をあげてから4年半にして、ついに九州の上陸を果たしました。 ※頼廉の強さは島津の猛将に引けをとらない。その活躍っぷりは遠征軍の中でも際立っている。 続きを読む →
【本山親茂の野望】その5 願わくば、我に七易八楽を与えたまえ 1568年1月、本山家は本願寺最後の砦、尾山御坊を攻略。本願寺家は滅亡しました。その攻略にあたったのは西園寺実充。彼が捕縛した本願寺の将の中には、かつて本山茂辰が本山家から追放した長宗我部元親の姿がありました。 ※しかし、解放しました。元親「情けをかけていただけるとは 礼を言わせてもらう」。次はどこへ行くのか、ちょっと楽しみでもある。 続きを読む →