1544年1月。衝撃的な事件が起きます。
北条氏綱、死す。
扇谷上杉家にとって最大の障壁であった北条家。その北条家を牽引してきた氏綱の死は、すぐに扇谷上杉家当主・上杉朝興も知るところとなりました。
白地城では茂宗が城門を破壊しており、落城も時間の問題です。三好領・伊沢城から2300の援軍が来ましたが、兵を率いる伊沢城主・小笠原成助も既に本山家と内通していて、ただ傍観するだけです。
1556年11月、白地城は茂宗の激しい強行攻撃の末、落城しました。
長尾景虎が反南部連合を結成しましたが、今となっては南部家の脅威とはなりません。なぜなら、南部の兵力は関東を支配した時点で長尾家を圧倒しているからです。
とは言え新・反南部連合を放置しておくわけにもいかないので、北陸平定のための軍団を新設します。誰に任せるか考えていましたが、長尾政景がもともと北陸の人間である上に面白い人なので、彼を任命しました。彼は宇佐美定満とともに舟遊びをして溺死してしまったという珍しい経歴の持ち主です。
すると一部の家臣から不満の声が漏れました。
※「能力の劣る軍団長の下につくとは」って、長尾政景も優秀なのに厳しい…。