1596年6月、毛利家は豊臣家によって滅亡します。これで、西国で豊臣家に対抗できる勢力は九州を統一した島津家のみとなりました。
※この画像はその2ヶ月後、8月だが、豊臣家の兵力46万。当家の兵力は9万弱で、5倍ほどの開きがある。島津は兵力13万。四国の長宗我部家は虫の息。宇喜多家は豊臣家に従属している。
1596年10月。春日山落城のひと月前、大崎家は陸前、岩代など大崎領内で総勢およそ3万の部隊を編成。春日山城の援軍を目的として、越後へと向かっていました。
この援軍は春日山城の落城を受けて、春日山城の奪還と徳川領の攻略をめざすことになりました。